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希少伝統工芸
加賀毛針
加賀毛針
日本の毛針は加賀と土佐、播州に発達した鮎釣り専用の針です。 加賀藩では武士の特権として川狩りを奨励していたことから、武士がさまざまな針を考案し、内職として鮎毛針を作ったとされています。加賀毛針の原材料には野鳥の鴛鴦やカワセミ、真鴨などの羽毛を使い、接合部分に漆や金箔を施されていることが特徴です。

茶の湯釜
茶の湯釜
加賀茶の湯釜を初めて手がけたのは、加賀藩五代藩主に仕えた宮崎彦九郎の子・義一と言われています。 城下町金沢は茶の湯が栄えた土地ということもあり、義一は京都から招かれた仙叟の指導を受け、加賀藩御用釜師となり、数々の名品を残しました。複雑多岐にわたる工程は分業ではなく、すべて一貫して行われています。きめの粗いゴツゴツとした肌が特徴で全国の茶道家たちの人気を集めています。

銅鑼
銅鑼
金沢における銅鑼づくりは人間国宝である故初代魚住為楽氏によってその製法が見出されました。 銅鑼は主に茶席で用いられる楽器です。形や曲線、厚さなどがすべて抜群の音響効果を出すように工夫されており、打ち込むほどにいっそうの深みを加えるとされています。銅鑼の素材、砂張(さはり)は銅と錫との合金で、金属鋳物の中で最も扱いにくいものとされています。 その高度な技法は今も代々継承されています。

琴

金沢における琴の普及は藩政時代。 藩主の奥方や姫君をはじめとする武家における女性の教養のひとつに琴が教えられていました。加賀藩の重臣・横山家には絢爛豪華な蒔絵を施した琴が今でも残っています。需要も多く、白山桐を使用した美術品的な琴も製造されています。

金沢和傘
金沢和傘
藩政時代より明治・大正と盛んに作られてきた金沢和傘は、貼り込む紙に楮紙を用いています。 傘の中心部分に四重の和紙を張り、破損しやすい部分を補強するなど他の地方に比べて丈夫であることが特徴です。近年、洋傘の普及とともに需要は減りましたが、丈夫な金沢和傘は今も根強い人気があります。

三弦
三弦
三弦は通称三味線とよばれ、藩政時代より芸事や習い事が盛んであった金沢で受け継がれ、藩政時代からの芝居、そして東、西、主計町の花柳界を中心に発展を遂げてきました。三弦はあくまでも音色重視。琴とは違い、義太夫や地唄、長唄、小唄、民謡と多種多様の需要に対応できる高度な技術を必要とします。

加賀水引
加賀水引
加賀水引は元来人に物を贈るときの敬いのしるしとして、主に祝事に用いられました。 加賀百万石を誇る加賀藩の気質によって、水引は次第に実用品よりもむしろ装飾品として用いられるようになり、金沢の伝統工芸品として受け継がれてきました。現在では水引は技術も進歩し、松竹梅・鶴・亀といった結納飾りだけではなく創意工夫にあふれた多彩な水引があります。

二俣和紙
二俣和紙
約1300年の歴史をもつといわれる二俣和紙。 献上紙漉き場として藩の特別な庇護を受け、加賀奉書など高級な公用紙が漉かれていました。また、紙質をならすために、3年貯蔵をしてから出したともいわれています。 現在では透かしの模様が入った漉き模様紙や、型染紙など美術工芸品に使われる和紙の需要も高く、またその製法は防水性や強靭性など新たな工夫が加えられています。

加賀象嵌
加賀象嵌
象嵌は刀装具などに用いられる金属加飾法で、武士にとっては必需技能でした。 加賀象嵌といえば、鐙(あぶみ:馬に乗る際、鞍の両側より吊るして足の裏を支える道具)をさすほどにその名声は極めて高いものでした。現在では、幾何学模様などを取り入れた洗練されたデザインも多く、花器やペンダントといった小物などにも施されています。

竹工芸
竹工芸
竹は清楚、簡潔を尊ぶ日本人の好みに合った植物として、古くから松と梅とを組み合わせで吉祥の象徴として親しまれてきました。加賀藩細工所にも数人の竹工が従事していたといわれ、茶道具や華道の隆盛とともに芸術的な竹工芸の技術が発展しました。 現在では竹の長所を生かした網代編み主体の高度な技法を用いた文様編みの茶道具や花器などが作られています。

加賀提灯
加賀提灯
提灯は、松明(たいまつ)に代わる携帯用灯火具として16世紀後半に生産されました。加賀提灯は、竹骨を一本一本輪にして糸で留めてあるため、長い竹を螺旋状に巻いた提灯とは異なり、伸びが大きく、一本が切れても全部がはずれることがなく丈夫なことが特徴です。現在では、祭礼や装飾用の提灯を中心に受注生産を続けています。