武具に見出された美
加賀象嵌の歴史

象嵌の歴史は古く、古代エジプトやギリシア時代の遺品にも見られ、我が国では古墳時代の青銅剣の銘文などでも知られる。
加賀象嵌は、藩政初期に京都から招かれた金工宗家歴代の中にあって、傑出した後藤琢乗が装剣技術を開発したのが起源とされる。彼は細工所の金工職人の指導にも当たり、地元にも名工が輩出し、一般彫金のほか金属象嵌の優れた作品が出現した。
加賀象嵌は、平象嵌の技法を特徴とし、金属の面に象嵌する紋様の部分をタガネで0.5〜1mmの深さに彫り下げ、底部を広げる。次いで紋様に別の金属をはめ込み、上から鎚とタガネで打ちならす。打ち込んだ紋金がアリの部分に伸び広がり、いかなる振動にあっても抜け落ちないように固定される。
藩政期には、武具を中心とする鎧、装剣小道具等が幕府や諸大名に進献されたが、明治維新後は、刀剣の廃止などにより業界は壊滅状態に陥った。
金沢市の振興策により、花瓶、香炉、置物等の高級品の製造に力を入れ漸く復活したが、戦中は主要資材の使用禁止、戦後は資材入手困難や老年技術者の死亡などで業界は再び混乱期を迎えた。
近年は、伝統工芸復興の機運に乗り、若い技術伝承希望者もあり、作家活動も近代工芸の分野に研究の広がりを見せている。
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